マネーが牽引するディレッタンティズムに沈む
テクノゲーム、インフォゲーム

ここでいう「ディレッタンティズム」とは、新しいものに歩調を合わせる、同期するような精神を含んだ運動という解釈で話を綴ると、現在のハイテク及びインフォメーションの多くは、もはや本義のレーンからはずれ、ある種の「過剰性」を売りにすることでどうにか延命している段階にあると考えています。
つまり「過剰性」によって利鞘を稼ぐというビジネスモデルであり、それはより満たされたものの追求というより、過剰のさらなる自動症的拡張であって──それはファイン・チューニング(微調整・微差異)として振る舞うこともありますが──はっきり言えばもうそのような価値が価値としてまかり通る状況はより限定的なものになる、急角度の凋落慣性に入っていると思われる国内においてはそれも時間の問題であろうと予測されるのです。

現在確認可能な事象をもとに個人的予測可能な範囲を俯瞰すれば、国内のピラミッド型社会構造は相当に鈍角化した頂点と広大な底面積をもつ構造へとリストラクチャリングされ、そのような構造にあってはブランドのスーツに象徴されるような「ビジネス」からユニクロで問題ない「生業」へのシフトが余儀なくされるであろうと同時に、先の過剰なるものへの価値と需要と熱狂が急激に冷めていくのであろうと思われます。
それはまさに社会構造のピラミッドとシンクロして、より多くの人が精神的にも「マズローの欲求ピラミッド」の中層から下層で生きることになるであろうことを意味します。

先日、とあるWebコンテンツを外注にしようと、ある企業に見積り依頼したところ、「日産ジューク(車)」を買ってもおつりがくるような数字を提示されたものだから、これは気の利いた冗談であろうと受け止めましたが、これから突入する2020年代、国内のハイテク、インフォメーション産業は、ディレッタンティズムの先頭グループについて行ける企業はさらに絞り込まれると思われます。
その時、あちこちで過剰という名の虚が剥がれ、人ではない、テクノリストラ、インフォリストラがはじまるかもしれません。
減価償却の概念やらを持ち出さなくとも、クリエイティブという道具の価値を肌感覚として吟味、考察される時代へ、もうとっくに突入しているのだと考えます。